微視的「国際競争力」考

近くに、「ウィグル・トルコ料理」の店ができた。この前まで、韓国料理のお店だったがつぶれたみたい。
この前、改装中だった中華料理店は、中華料理のままだが、店の名前と経営者が変わっていた。
大久保ほどではないが、このあたり、国際色は豊かだ。通りには、中華料理、インド料理、そして、ウィグル・トルコ料理の店が並ぶ。ただ、競争も厳しいのだと思う。
僕が越してきた頃、中華の店が開店した。定食が580円だった。量も多いし、味もまあまあ悪くない。隣のインドカレーが、ランチ980円だったので、開店した時は、価格破壊が起きた。(カレーの味は、よかったのだが)
このお店、節約ぶりも徹底していた。店の証明は薄暗く、お客がきたら、テーブルの上のライトをつける。商売熱心で、中国人の若者を雇って、中古のオートバイで出前も始めた。
この店を切り盛りしていたオバさんのことはよく覚えている。全く化粧っけがないので、40代なのか50代なのか、年齢も、よくわからない。(化粧をしても、年齢はわからなくなるのだろうが。)この人、本当は美人なのだと思ったのだが。
ほぼ三年間、無口のままで、一日も休まず、朝から晩まで、なりふりかまわず働いていた。
ある時、彼女が、お店の隅っこの席で、ブランド物のバッグを嬉しそうに抱えているのをみた。彼女をみたのはそれが最後だった。次に行った時には、店はそのままだったが、彼女はいなかった。
このお店、ずっと中国の人がお店を続けているのだが、経営者が変わるのは、今度で3回目だ。人が変わるたびに、店も少しずつ変わっていく。
若い人にバトンタッチしているのだが。まず、週に一回、休むようになった。お店の照明も付けっ放しになった。おしゃべりもする。日本の若者と変わらない。彼女の持っていた「働き者」のオーラは、もうない。
その上、お客が多いことをいいことに、代が変わるたびに、100円程度の値上げをする。昨日は、定食、920円だった。
僕が思ったのは、現在は、経済では、日本は中国に勝てていないのだが、中国の若者に、商売っ気がなくなっていくのなら、ひょっとして、日本にもチャンスがあるのではということ。
通りを挟んだ反対側に、不思議なラーメン屋がある。
何が不思議かというと、このお店、お客が入っているのをほとんどみたことがないのに(満員なのをみたことがないのではない)、通りの反対側の飲食店の栄枯衰勢をよそ目に、この十年近くつぶれていないのだ。
味は、お世辞にも美味しいとはいえず(はっきりいって、まずかった)、飲食店として生き残れるはずはないのだが。お店・お店の土地は、自分のもので、他に収入があるのだろう。(宝くじにでも当たったのかな? 多分、近くに土地を持っていて、そのアガリがあるのかも。)
地方の商店街の「シャッター街化」でも、お店の持ち主は、商売はうまくいかず、やる気もなくなっているのだが、首をくくるほど困っているかと思えば、実は、小金持ちであることも多い。以前の遺産を食いつぶしているだけなのだが、「我なきあとに洪水よきたれ」なのかもしれない。
つぶれないことが、いいこととは限らないと思うのだけれど。
まあ、いい。
ウィグル料理、食べに行こう。

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