ボルツマンと原子論

以前の僕の投稿から。https://goo.gl/uERvY9
 
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「ボルツマン・マシン」のことを書いたが、「マシン」に人の名前がつくのは、僕は他には、「チューリング・マシン」しか知らない。
19世紀のボルツマンと20世紀のチューリングには、これ以外にも共通点がある。(二人とも、傑出した天才であるという自明のことを除いて)それは、二人とも自殺していることである。
のちに「XXX マシン」と呼ばれる業績を残すかもしれない、まだ見ぬ21世紀のXXXが、そうならないことを祈ろう。
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昨日紹介したサスキンドの発言は「悪い冗談」なのだが、ボルツマンの業績は、彼の生前には正当に評価されなかった。特に、当時の物理学会で大きな発言力を持っていたマッハとその取り巻きは、執拗にボルツマンの「原子論」を攻撃した。ボルツマンは、追い詰められ、次第に精神を病んでゆく。
古代ギリシャで原子論を提唱したデモクリトスの著作を、プラトンは、全部、焼かせたという。19世紀の物理学でも、「原子論」は「異端」の学説だったらしい。(日本でいえば、江戸時代にボルツマンは生まれ、明治維新の頃に論文を書いていると思っていい。)
写真は、Scott Aaronsonの本 "Quantum Computing Since Democritus" 「デモクリトス以来の量子コンピューティング」の表紙を飾るデモクリトス。

19世紀の物理学者の双璧は、ボルツマンとマックスウェルだと思うが、二人のアカデミーでの人生は、はっきりと明暗を分けている。
物理現象を、より基本的な要素の実在とその運動で説明しようというのは、現代物理学の基本的な態度である。ボルツマンらがその基礎を築いた統計力学の手法は、20世紀の量子力学を準備する。素粒子論というのは、現代の原子論に他ならない。
ただ、原子論が、科学の世界で広いコンセンサスを得るのは(化学の世界では、原子論は、早くから受け入れられていたようなのだが)、1905年の、アインシュタインの「ブラウン運動」についての論文以降だったという。
ボルツマンも、この20代の若者の論文を読んだと思うのだが。
翌1906年、彼は、自ら命を絶つ。
もう一つは、現代物理学の「標準モデル」での素粒子のリスト。

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