「先生、シンギュラリティの話、しないんですか?」

今度、山賀さんと「科学と虚構の未来」というテーマで対談をするのだが、こんな質問が。確かに、このテーマなら、今ならある意味ど真ん中の質問なのだと思うのだが、残念ながら、僕は、あまのじゃくなのだ。というか、僕は、シンギュラリティの議論が嫌いなのだ。

「人間より機械が賢くなって、人間が滅びる」?

その辺の機械より人間が愚かになっても人間は滅びるだろう。パイロットが、自分の自殺(なんかおかしい表現)の為に乗客を道連れにする事件があったが、愚かなことだとは思うが、「核」の引き金を引くのは、一人か二人かの人間で十分なのだ。それでも何十億人を道連れにできる。パイロットの「精神鑑定」は強化できるかもしれないが、核を持つ権力者の精神鑑定はできるのだろうか。

「人間を機械が支配するようになる」?

機械は、人間を支配したがるだろうか? なんのため? こうした発想は、支配したがるのは、機械というより人間の発想だと思う。

もしも、人間を機械が支配する世界が来るのなら、その前に、必ず、機械を支配する少数の人間が、多数の人間を支配する段階を経るだろうと僕は思う。そして、そうした過程は、始まっているようにも思う。

機械だけが敵とは限らない。目に見えないウィルスのパンデミックで、人類は滅亡するかもしれないし、それよりもっとずっとありそうなことは、環境問題が深刻化して、地上の生物が絶滅することだ。すでに、その兆候は出ている。多くの種が、かつてないスピードで地上から消えている。この引き金を引いたのは、多くの生物種を道連れにしようとしているのは、我々人間なのは間違いない。

地球の歴史の中で、こうした大量絶滅は何度かあった。それでも、生命は途切れることなく続いてきた。人間が地球からいなくなることが、地球と生命にとって悪いことだとは限らない。

僕は、この宇宙には、「知的な生命体」が無数に存在すると思う。ボエジャーは、いまは、秒速何十キロメーターかで太陽系から飛び出そうとしているが、そこには、宇宙人へのメッセージを刻んだプレートが搭載されていた。そのプレートは、宇宙人の手に渡るだろうか? その可能性は、落としたクレジットカードが善意の誰かに拾われて本人の元に返る可能性より、ずっとずっと、気が遠くなるほど、ずっと低いと思う。

でも、彼らは、この地球で起きるかもしれないという「シンギュラリティー」に興味を持つだろうか? 彼ら自身が、宇宙の他のところで起きた「シンギュラリティー」の結果の子孫かもしれない。

もし彼らが、お財布を拾ったら返してあげようとする善意の宇宙人なら、きっと、僕らが僕らが当面するいろんな困難を超えて生き続けて、いつか二人の子孫が出会えることを期待するように思う。僕も、できることなら、話をしたい。

「シンギュラリティー」論は、サイエンス・フィクションだと思う。ただ、それは、人間中心で地球中心のものだ。

「虚構」を生み出す力、想像力は、大事なものだと思う。それは、現在の機械には(人間が作り出した、地球上の機械のことだが)欠けているものだ。機械に負けたくないなら、機械のように考えることをやめることだ。


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