メディアの理論モデル
【 メディアとAIのモデルの違い 】
前回、メディアのマルチモーダル化の歴史を概観しました。メディアのマルチモーダル化の中心はVisual化とみなしていいと僕は考えているのですが、それが産業に与えた影響は非常に大きななものです。メディアのVisual化は、圧倒的な数の利用者を獲得して巨大な市場を作り上げました。
こうした議論を延長して、AIのマルチモーダル化の進行が進む中、VisualなAIの登場がAIの利用者拡大の鍵になると考えることは可能でしょうか?
そうではないと僕は考えています。メディアとAIとの単純なアナロジーは成り立たないし、VisualなAIというコンセプトは、曖昧なものです。
メディアのVisual化への流れを一貫して推し進めてきたのは、メディアの利用者である人間の強い具体的な欲求です。多くの人間がメディアのVisual化を強く欲したということです。
メディアとは異なるモデルを持つマルチモーダルなAIには、そうした力は働かないように思えます。
このセッションでは、メディアとAIのモデルの違いを考えます。
【 シャノンのモデル 】
メディアのモデルの基礎にあるのは、メッセージの送り手と受け手からなる、シャノンが定式化した一般的な「コミュニケーションのモデル」です。送り手側でメッセージは信号に変換され、通信チャンネルに送り込まれ、受け手側は通信チャンネルから信号を受け取り、その信号をメッセージに変換します。
このシャノンのモデルは、極めて一般的なものです。送り手・受け手ともに人間であってもいいし機械であってもいいし、メッセージと通信チャンネルを通る信号の区別があるのは重要なのですが、メッセージについては様々なタイプが想定可能です。メッセージは、モールス符号でもいいし、文字列の並びでも、音声データでも構わないのです。
シャノンは、このモデルを「一般的なコミュニケーション・システムの図式」と呼ぶのですが、現代の言葉の使い方からいうと、「一般的な通信システムの図式」と考えた方がいいかもしれません。ただ、そのことは、シャノンのモデルが「狭い」ことを意味するものではありません。
シャノンが行った抽象化による飛躍は強烈なものでした。彼は、このモデルでは、「メッセージの意味は重要ではない」と断言します。なぜなら、このモデルの基本的な関心は、送り手が送り出したメッセージを、「正確であれ近似的であれ」、受け手の側で再生産できるかどうかにあるからです。
メッセージの「意味」ではなく、システムの両端に現れるメッセージの「同一性(正確であれ近似的であれ)」こそが、このシステムを特徴づけるのです。
シャノンが行った「意味」の捨象は、彼の新しい「情報量=エントロピー」論への道を開きました。この辺りの議論は、以前のマルレク「情報とエントロピー入門」を参照ください。
https://www.marulabo.net/docs/info-entropy/
・特殊なメッセージとして、「コンテンツ」というタイプを導入する。
スライドあるいはビデオを参照ください。
---------------------------------
ショートムービー「 メディアの理論モデル 」を公開しました。
https://youtu.be/gVwd0jMnarM?list=PLQIrJ0f9gMcONFj6CSbKdp_mdh_81VgDU
ショートムービー 「 メディアの理論モデル 」のpdf資料
https://drive.google.com/file/d/18Wv8U82vgqV0EkhF8jWaIPgzklpHzcty/view?usp=sharing
コメント
コメントを投稿