啓蒙時代の暗褐色の星

2年前( 2019年11月10日 )のFBへの投稿から =============================

シェイクスピアの「オセロ」は、将軍オセロが部下イアーゴの奸計にはまって、嫉妬心を爆発させ、無実の妻デズデモーナを自ら手にかけて殺し、自滅する話だ。この戯曲は、17世紀の20年代に初演されている。
「オセロ」の舞台はヴェニスで、将軍オセロはトルコ軍と戦っている。ただ、時代はわからない。当時のヨーロッパで、黒人のオセロが将軍になることが実際にありえたのか、ちょっと引っかかっていた。
この間聴いていた二つのオペラ「エフゲニーー・オネーギン」と「椿姫」の原作をチェックしていて、面白いことに気づいた。何に気づいたかというと、二つのオペラの原作者には、黒人の将軍の血が流れていたのである。
チャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」の原作は、19世紀のロシアの「国民的詩人」プーシキンの同名の韻文小説(1825-1832)だ。
ヴェルディのオペラ「椿姫」の原作は、「三銃士」や「巌窟王」で有名なアレクサンドラ・デュマ(大デュマ)の同名の息子アレクサンドラ・デュマ(小デュマ)の「椿姫」だ。
プーシキンの曽祖父は黒人で、ピュートル一世の時代のロシアで軍人として活躍し少将だった。デュマ(小デュマ)の曽祖母は黒人で、黒人との混血の祖父は、ナポレオンの時代のフランスで、中将にまで昇進する。
プーシキンの曽祖父、アブラム・ペトロヴィチ・ガンニバル(ハンニバルだ!)は、7歳の時、コンスタンチノープルの奴隷市場で売りに出されていた。彼に目をつけたのは、トルストイの曽祖父だったという。ピュートル一世は、彼をフランスに送り、教育を受けさせる。
「パリで、彼は啓蒙時代の象徴ディドロ、モンテスキュー、ヴォルテールと親交を結んだ。ヴォルテールはガンニバルを、『啓蒙時代の暗褐色の星』と呼んだ。」優秀だったのだろう。
プーシキンは、この黒人の曽祖父を非常に誇りにしていた。「1830年に「私の系譜」という短い詩を書いているが、600年に渡る父方の祖先については35行で書いた一方、アブラムだけで20行の詩を捧げている」
(そういえば、先日ビデオで見た、オペラ「エフゲニー・オネーギン」のパリのサロンの場面で、黒人士官が白人女性と一緒に参加していたような気がする。ビデオが手元にないので、確認できないのだが。)
「椿姫」の小デュマの曽祖母の「マリーは奴隷のために姓がなかったが、農場を切り盛りしていたため「農家のマリー(Marie du mas)」と呼ばれており、「農家の」にあたる「du mas」をつなげた「Dumas」を姓として用いるようになった。」 デュマって名前、そういう意味だったんだ。知らなかった。
マリーの息子で大デュマの父、トマ・アレクサンドル・デュマ(三代、同じ名前だ)は、波乱万丈の生涯を送る。
「母の死後、他の3人の兄弟とともに実の父に奴隷として売り飛ばされたが、トマは父がフランスに帰国すると買い戻されてフランスに呼び寄せられ、私生児として認知された。」
「国王軍から革命軍へ転じ、数々の武勲をあげ、陸軍中将にまで昇進する。しかし、ナポレオン・ボナパルトと共にエジプト遠征に従軍していた際、エジプト遠征を「ナポレオンの個人的野心に基づくもの」と批判したため、ナポレオンとの関係が悪化し、フランスに帰国することとなった。しかし、乗った船が嵐にあって、ナポリ王国まで流され、ナポリ王国で、彼は現地の軍隊に捕虜として捕らえられ、2年間にわたって監禁された。」
息子の「大デュマの作品には父をモデルにした人物が数多く登場する。」なるほどなと思う。
僕は知らなかったのだが、少なくとも、18世紀には、有名な黒人の将軍がヨーロッパには存在した。また、19世紀には、黒人の血を引く著名な文学者がいることは、よく知られていたらしい。
話を「オセロ」に戻そう。
シェイクスピアの「オセロ」の主題は、人種を超えた普遍的なものだ。詳しいことは失念したが、確かアメリカの「シェイクスピア劇場」で、黒人と白人のロールを逆転させた「オセロ」、主人公のオセロのみを白人が演じ、その他すべてを黒人が演じる舞台が、しかも、シェイクスピアのセリフは一行も変更しないで、大きな成功を収めたことがある。
かつて、「人種間の結婚」を法律で禁じていた南アフリカでは、「オセロ」は、上演を禁じられていたという。愚かなことだと思う

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