Grzegorczykの 「科学の探究」モデル 1
【 Grzegorczykの 「科学の探究」モデル 公開しました 】
11/26 マルゼミ「認識について考える 2 -- 認識の認識 –」の第二部「認識の発展のモデル」のショートムービーです。ご利用ください。
https://youtu.be/x15hZSj9cgk?list=PLQIrJ0f9gMcPmqWCIYjND28DLB9SwQ_eX
スライドは、https://drive.google.com/file/d/1FhU_auiV-x8TpTf3WUAAiwpfT78eR5Zo/view?usp=sharing からアクセスできます。
Grzegorczykは、「科学的探究」を次のようなものとしてとらえます。
「科学的探求(たとえば,実験的研究)とは,我々の探求の方法によって得られた,新たに確立された諸事実によって,データの集合を継続的に豊富化することに存する。」
我々が得たデータの集合は、我々が持っている「科学的知識」「科学的情報」と考えて構いません。
現時点で我々が持つ科学的情報をαで表すことにします。そのαから予測できるかもしれない複数の仮説を、β1, β2, ... , βnとします。彼は、このβの全体をP(α)で表します。彼は、科学的実験・検証を、P(α)に属するβ達から一つのβを取り出すことだと考えます。
こんな言い方をしています。
「我々は,自然に、可能な解答の集合を提供する。」
情報αの段階での「可能な解答の集合」がP(α)です。その要素β1, β2,, …の中から、
「自然はひとつを選ぶ。」 と。
大事なことは、P(α)に属するβ達は全て、αに含まれている情報を含んでいるということ。要するに、一度、科学的情報として得られた情報は,「科学的探究」のプロセスで、その情報がいかに拡大されても,元の情報はなくなることはないということです。これは、科学情報の「累積性」と言われる性質です。
もっとも、これだけですと、数学的アプローチというより、科学の探究の素朴な記述と大して変わりありません。科学的知識や科学的情報を、命題の集まりとするのも、ナイーブなものです。
彼のアプローチの真価は、拡大する情報の集まりと、数学的・論理的な証明可能性との間に、興味深い関係があることを見出したことにあります。それについては、次回述べることにします。
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