応用カテゴリー論と環境問題

バエズの地球環境への関心が、彼の「応用カテゴリー理論」とどのように結びついているかの話をしようと思う。
バエズは、数学者に何ができるだろうかと自問する。彼は、それを「有限な地球上の生命に必要とされる数学を作り上げること」だと考える。
それは、どのような数学か? 彼の考えの飛躍のポイントは、「ネットワーク」への注目にある。
「環境システムを理解するということは、最終的には、ネットワークを理解すると言うことになるだろう」
「我々は、環境システムから、素粒子物理からと同じように数学的なインスピレーションを得ることができる。そして、我々がそこで見いだすことは、もっと役に立つだろう」
「エンジニアも化学者も生物学者もそのほかの人たちも、ネットワークを記述するのに、多くの異なった図的な言語を利用している。我々は、今、それらをカテゴリー理論で統一しようとしているのだ!」
この7年間、バエズを中心とするグループが、カテゴリー論の「応用」を目指して行ってきた研究分野は、きわめて広範で、かつ実践的なものである。
 ・ 信号の流れのグラフと電子回路図
 ・ ペトリ・ネットと化学反応ネットワーク
 ・ ベイジアン・ネットワークと情報理論
もちろん、これで全てではない。ちなみに、この間僕が紹介してきた、Coeckeの"String Diagram"による量子論の書き換えの試みも、形式意味論でのDisCoCatの取り組みも、バエズの言う「応用カテゴリー論」の一部である。
技術とその基礎としての科学の接点は、今、大きく変わりつつある。その目覚ましい変化の中心の一つに、カテゴリー論の「応用」があるのだと考えている。バエズが「21世紀の数学」というのは、そのことを指しているのだと思う。
僕は、ITの世界には長くいるし、「ネットワーク」と言う言葉を、何度も何度も使ってきたのだが、残念ながら、こうしたパースペクティブで「ネットワーク」という概念を捉えたことがなかった。
もっと恥ずかしいことなのかも知らないが、若い優秀な技術者に、「先生、そんなんでいいんですか」と言われるほど、環境問題には無関心だった。
数学理論としてのカテゴリー論の初歩は、僕は理解できるのだが。
いつもなら、「まあ、いいか」で終わるところだが、まあ、そう言うわけにもいかないんだろうな。はてさて、どうしたものか?

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