エミー・ネーター
DisCoCatでの女性の活躍については、ここでも紹介した。女性科学者と言うことでは、是非とも紹介したい女性がいる。数学者のエミー・ネーターだ。
数学者なら誰でも知っている名前だが、一般には、ほとんど知られていないと思う。そう言う僕も、恥ずかしながら、高校時代にネーターが女性であることを知り、びっくりしたことを覚えている。てっきり男性だと思っていたのだ。
数学者なら誰でも知っている名前だが、一般には、ほとんど知られていないと思う。そう言う僕も、恥ずかしながら、高校時代にネーターが女性であることを知り、びっくりしたことを覚えている。てっきり男性だと思っていたのだ。
女性科学者というと、キューリー夫人が有名だが(だったが)、今の子供達は「偉人伝」なんか読まないだろう。おそらく、キューリー夫人も知らないかも。GAFAの創始者が新しい「偉人」になるのかも。
エミー・ネーター(1882 – 1935)は、ドイツ生まれの数学者。20世紀の抽象代数学の成立に大きな貢献をした。また、対称性と保存量の関係を示した1918年の「ネーターの定理」は、量子力学にも大きな影響を与えた。
ヒルベルトもアインシュタインもワイルもウィーナーも、彼女の傑出した才能を認めている。彼女の時代、彼女は最も重要な数学者だった。
ただ、「女性」というだけで、彼女のアカデミーでの活動は、大きな制約を受けた。
彼女を、ゲッティンゲン大学に招こうとしたヒルベルトは、教授会の強烈な反対にあった。その中心は、哲学の教授たちだったらしい。
その一人は、こう言ったという。
「我々の兵士たちが、戦場から大学に戻ってきた時、女のもとで学ぶことを要求されたら、なんと思うと思うんだ。」
ヒルベルトは激怒して、「性別なんてどうでもいいじゃないか。ここは大学だ。お風呂じゃないんだ。」と言ったという。
https://goo.gl/jDzULN
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結局、彼女は、正規の教員としては受け入れてもらえず、ヒルベルトの名前を借りる形で、その代理として講義をしたらしい。
先に挙げた画期的な「ネーターの定理」も、ゲッティンゲン王立科学協会で発表されたのだが、彼女は会員でないという理由で出席を許されず、発表は同僚のクラインが行なった。
大学では、正規の教授に昇進することはなかったのだが、彼女は、自宅でも喫茶店でも、熱心に教育を行い、「ネーター軍団」といっていい、優秀な数学者をたくさん育てた。
ヒットラーが政権につくと、ユダヤ人だった彼女の立場は、更に悪くなる。一部の学生の攻撃の対象とされる。
「アーリア人の学生は、アーリア人の数学を学ぶことを望む。ユダヤ人の数学ではない。」
1933年、彼女は、ゲッティンゲンで教える権利を剥奪され、大学を追われることになる。最終的には、アメリカに渡る。
論文投稿サイト arXiv に、去年2018年、彼女の論文(英訳)が投稿されていた。https://goo.gl/wHhGjy 有名な「ネーターの定理」論文だ。彼女の論文 100周年を記念する形になった。
粋なことをする人がいるものだ。
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