量子コンピュータを、なぜ難しく感じるのか? 

量子コンピュータへの関心が高まっています。

その一方で、それへの「近づきがたさ」を感じている人もたくさん存在しています。むしろ、量子コンピュータへの関心の高まりとともに、そうした人の数は、増大しています。

量子コンピュータを難しいと感じるのには、いくつかの理由があるのですが、僕は、その最大の理由は、その「なじみのなさ」「これまで、どこでも習ったことがない」ことにあると考えています。量子コンピュータを学校で習ったことがある人は、あまりいないでしょうから、その意味では、難しく感じるのは、ある意味当然のことかもしれません。

ただ、その難しさは、見かけだけのことかもしれません。

外国語の学習で考えてみましょう。250年前の日本には、英語を理解できる日本人は、おそらく、一人もいませんでした。でも、今では、中学生は全員、英語を学んでいます。江戸時代の日本人が、外国語を理解する能力が低かったのでしょうか? そんなことはないと思います。「學而時習之,不亦說乎?有朋自遠方來,不亦樂乎?」というような漢文を、多くの日本人は子供を含めて、理解できたのですから。

量子コンピュータを「近づきがたい」と感じるのは、理解力がないからではありません。それは、江戸時代の人が、おそらく英語のアルファベットに感ずるであろう「近づきがたさ」と同じようなものだと僕は考えています。それは「受けて来なかった教育」のせいといってもいいのですが、基本的には、その時代に多くの人が手に入れることのできる情報の問題です。

ただ、この点では、現在は、250年前とも100年前とも50年前とも、大きく違っています。これはとても大事なことだと、僕は考えています。

現在では、たとえ「学校」で「教育」をうけていなくても、いくらでも情報は手に入ります。自分だけで学ぶことも可能です。また、新しいことの学習をを助けるコミュニティや勉強会がたくさん存在します。ITの世界で働いている人は、以前に学校で習った技術的知識がすべてではないことは、よく知っていると思います。

量子コンピュータについても同じです。学ぶ機会がなかったから難しく感じるだけで、最初から難しいと身構える必要はありません。

そうは言っても、量子コンピュータを学ぶことは、英語を学ぶことより、対象が「不可思議」で、内容的にずっとずっと難しいことなんじゃないのと思っている人もいると思います。むしろ、物理学をすこし知っている人に、そうした意見の人も多いのですが、そこには、いくらか誤解があります。

確かに、「相対論」や「場の量子論」を理解するのは、中学生が英語を勉強するようには行かないと思います。ただ、量子コンピュータの動作の原理を理解するのに、「量子力学」の全体は必要ではありません。

なぜなら、そこで必要なのは「情報」の理論であって、「力学」の理論ではないからです。情報の理論には、「位置」も「運動量」も「質量」も「エネルギー」も、登場しません。(ここでは、量子ゲート型の量子コンピュータの話をしています。アニーリング型では、少し異なります。)

量子情報理論の基本は、少数の原理にまとめられています。

 1. 重ね合わせの原理
 2. 観測の原理
 3. 発展の原理

これだけの原理で、量子コンピュータについて、多くのことが理解できます。

(こうした整理と一般化は、現在ではもっと進んでいます。こうした知見は、基本的なものですが、実は新しいものです。物理学のテキストの多くには、明確には書かれていないことが多いようです。残念ながら、専門の物理学者の中にもこうした問題の整理の重要性に気づいていない人が多いのです。文末に「量子情報科学入門」をかいたVlatko Vedralの「驚き」と「専門家」に対する「怒り(多分)」を引用しておきました。)

量子論の「不思議さ」「理解しがたさ」については、例えば「観測問題」には、様々な「解釈」があるのですが、そこに踏み込んでいっても、量子コンピュータの振る舞いの理解にとっては、あまり意味はないと僕は考えています。

量子コンピュータを、複雑な難しいものとしてではなく、簡単に理解する新しい方法があるのです。量子コンピュータを学ぶのなら、この方法にしたがって学ぶのが効率的です。

「量子コンピュータを、なぜ難しく感じるのか?」について、最後に触れておきたいことがあります。難しく感じる原因の一つに、数学を使うからというのがあると思います。内容的には、ここが最大のネックになるかもしれません。

量子の世界は、我々が日常の生活をおくっている世界とは異なっています。そこでの量子の振る舞いは、我々の日常の世界では有効な感覚や直感では、うまく捉えることはできません。ましてや、「哲学」的に考えたからといって、その振る舞いの想像ができるわけでもありません。

ただ、基本的ないくつかの原理に基づいて具体的な「計算」を行えば、その振る舞いを予想することができ、それは実験結果とも一致するのです。

重要なことは、感覚と直感の世界を離れて、こうした数学的な手段を通じてしか理解しえない対象が存在するということです。量子の世界が、まさにそれにあたります。この点は、量子コンピュータを理解する上の大きな飛躍になると思います。

ただ、ここで必要とされる数学は、意外なことに、簡単なものです。次の三つの計算ができれば、量子コンピュータの動作の基本が理解できます。

 1. 二つのベクトルの「内積」
 2. 二つの行列の「積」
 3. 二つの行列の「テンソル積」

「内積」は、対応する要素同士を掛けてその和をとる演算です。必要なのは、掛け算と足し算です。行列の「積」は、行ベクトルと列ベクトルの「内積」を繰り返すことでえられますので、ここでも必要なのは、掛け算と足し算です。「テンソル積」は、名前は難しいのですが、計算は行列の積よりはるかに簡単で、掛け算だけで済みます。極言すると、量子コンピュータの動作は、掛け算と足し算で理解できるのです。微分も積分もいりません。

まとめると、
量子コンピュータは、見かけほど難しいものではありません。
その動作を、原理から系統的にわかりやすく説明するアプローチが存在します。
また、そこで利用される数学的計算は、とても簡単なものです。

6時間、紙と鉛筆で「計算」に集中すれば、量子コンピュータの新しい輪郭が浮かび上がると確信しています。

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"it is always surprising to me to learn that this generalization, although very fundamental, is still unknown to most physicists".

"These are the most general postulates of quantum mechanics and, surprisingly, never appear in any textbooks on the subject. There are two reasons for this. First of all, some people consider the present topic too difficult. However, more importantly, more people are not even aware of them, even when they work within quantum mechanics and its applications!"

--- Vlatko Vedral. "Introduction to Quantum Information Science"


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