Bohmian Rhapsody

スペルを間違えている訳ではないのだが。
連休中に、スモーリンの新著 「アインシュタインの未完の革命:量子を超えたところにあるものの探求」を読んだ。https://www.amazon.com/Einsteins-Unfinished-Revolution-Search-Quantum/dp/1594206198
それは、ボーム(David Bohm)の理論の再評価を熱心に勧めるものだった。僕には、少し、意外だった。というのも、僕のボームのイメージは、神秘主義者のクリシュナムルティやダライ・ラマとも交流する「ニュー・サイエンス」の代表格だったから。
ただ、僕のボームに対する神秘主義というイメージは、一面的だったのかもしれない。というか、ボームについては、僕は、ほとんど知らなかった。彼がマッカーシズムでアメリカを追放されたことも、晩年に至るまで、一貫して「実在論」者であったことも。
この本でのスモーリンの議論の矛先は、「観測によって、波動方程式が収束する」という、ボーアらのコペンハーゲン派の量子論解釈に向けられている。
主観的に解釈された「観測」で自然法則が影響を受けることはない、我々の意識から独立に自然が存在する、という「素朴実在論」の立場に、スモーリンは、あくまで立ち帰ろうとする。それは、アインシュタインのボーア批判にもつながるものだ。
彼は、現在の量子論で普通に使われている「観測可能(Observable)」という術語を「存在可能(Be-able)」に置き換えようとする。"Be-able"は、Entanglementの存在を理論的に証明したJohn Bellが作り出した言葉のようだ。ド・ブロイやベルやアスペも、Bohmianの系譜に属することも、僕は、この本で初めて知った。
確かに、「宇宙」を考えてみれば、宇宙の外側に観測者がいる訳ではない。
この本を、ボームの再評価を勧めるものと先に書いたのだが、基本的には、この本のタイトルにもあるように、アインシュタインの再評価を、現在の物理学の到達点から行おうとするものだ。
スモーリンの長年の「論敵」であるサスキンドも、「ER=EPR」をスローガンに、ブラックホールを舞台に、アインシュタインの再評価を行なっているのは偶然ではないと思う。
この4月に、スモーリンが行なった行なった講演の動画が公開されている。http://bit.ly/2vWAtOB なぜか、少しやつれていた。
(僕は、この本、最初はAudibleで聴いていたのだが、気になる箇所があって、kindleで購入し直した。ただ、その箇所は、kindle版では削除されていた。そういう使い分けをするんだ。)
ボームの物理理論については、"De Broglie–Bohm theory" https://en.wikipedia.org/wiki/De_Broglie%E2%80%93Bohm_theory がよくまとまっている。


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