「幸福論」

Googleのラリー・ページが、人間の幸福について、面白いことを言っている。
「私は人間が有り余るほどの時間の中でゆっくりと暮らすべきだと思います。
人々のニーズを満たすために、誰しもが己を捨ててまで忙しく働かなければいけない、という考え方は間違っています。
問題なのは、人々がそういったことを間違いであると認識できていないところにあるんです。また、人間は何もすることがなくなったら幸せじゃなくなってしまうと思っていることも問題です。」
僕は、この考えは正しいと思う。本当にそうなればいいと思う。
ただし、正しいと思うのは「半分」だけかな。
納得できない「半分」は、「誰しもが己を捨ててまで忙しく働かなければいけない」というのは、「間違った」「考え方」のせいではなく、「現実」のせいだと思うから。
「人々がそういったことを間違いであると認識できていない」のも、「認識」の問題ではなく、「現実」に追い立てられているからだと思う。
世界で何番目かの大金持ちに、「ゆっくり暮らすべきだ」と「説教」されてもなと、貧乏人の僕は思う。
サモアに上陸した宣教師の、こんな「説教」のジョークがある。
宣教師: 自分を見てみたまえ! いつも、こんな風に寝そべったままで。君は、無駄に人生を過ごしているだけだ。
サモア人: なんでだね? どうすればいいと思うのかね?
宣教師: いいかね。ここにはどこにでもたくさんのココナツがある。どうしてその果肉を干して売ろうとしないんだ?
サモア人: ふーん。なんでわしがそんなことしたいと思わなきゃいけないんだ?
宣教師: たくさんお金が稼げる。稼いだお金で乾燥用の機械も買える。果肉を早く乾燥できれば、もっとお金が入ってくる。
サモア人: ふーん。なんでわしがそんなことしたいと思わなきゃいけないんだ?
宣教師: 金持ちになれるんだよ。島も買える。もっと樹を植えて、商売を拡げることもできる。そうなれば、君は体を動かして働かなくてもよくなる。そうしたことを君の代わりにやってくれる労働者をたくさん雇えばいいんだ。
サモア人: ふーん。なんでわしがそんなことしたいと思わなきゃいけないんだ?
宣教師: いいかね。ココナツの実と島と機械と労働者とお金があれば、仕事をやめて大金持ちになれるんだ。そうなれば、何もしなくてもよくなる。一日中、ビーチで寝そべっていられるんだよ。
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