ランベックとカテゴリー文法 2

カテゴリー文法には、"categorial grammar" と "categorical grammar" の二つの表記がある。前者の方が多いのだが。なぜだろうと思っていたのだが、ランベックの"From Word to Sentence"を読んで理由がわかった。 ランベックが学会に提出した論文に対して、査読者からこんな指摘があったらしい。 「君のタイピストは、categorial じゃなく "categorical"と書いてるぞ」 先の本でランベックが言うには、それはタイピストのせいじゃなく自分がそう書いたからだからと言う。正直である。 このエピソードが紹介されている、"26. Remarks on the history of categorial grammar." (ちゃんと"categorial" になっている)は、彼の理論の数学的背景が、簡潔にまとめられている。かつての僕の数学的関心と重なっていて、とても面白かった。 ただ、彼の理論は、当時の言語学ではあまり評価されなかったようだ。チョムスキーとロバート・リースの二人だけが、研究を続けるように、彼を励ましたという。チョムスキーとランベックは、僚友だったのだ。 チョムスキーの生成変形文法が、一世を風靡するのをみたランベックは、他に関心をうつす。「言語学は、君に任せた。僕は数学をやる。」というような感じだったと思う。 それではなぜ、ランベックは、言語学にもどってきたのだろうか?その答えは、この本の一番最後の章 "36. Postscript on Minimalism." にある。 彼は、チョムスキーの最近(といっても、随分経つが)の 「ミニマリスト・プログラム」に、触発されたのだと思う。 「チョムスキー商会」を、スフィンクスの鼻が欠ければ、そのレプリカをお土産として売ろうとするフレンチ・コミックを紹介してそれにたとえたり、「minimalist program(誰かは、maximalistと呼んでいるよ)」「government theory, binding theory, case theory, X-bar theory, phrase structure theory and theta-theory ... これ全部勉強しなければならないの?」と言ったりしているのだが、これらの皮肉が、ユーモアに聞こえるのは、彼が、一貫して、チョムスキーの仕事と能力を高く評価しているからだ。 何よりも、ミニマリストの中核概念のMergeは、自分の理論でスッキリできると彼は考えていると思う。(彼の"Move"の解釈も、僕には説得的だった) チョムスキーのミニマリスト・プログラムとランベックのカテゴリー文法で、「計算主義的」な言語理論は、ますます発展すると僕は考えている。 Lambek "From word to sentence: a computational algebraic approach to grammar"

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