2018 Google I/O 「誰もが同じ情報にアクセスする」 



東京、寒い。あったかいところに戻ってきたと思っていたのに。稚内にいるみたい。暖房を入れる。
朝4時までGoogle I/Oのキーノート見ていた。技術的には、いろいろ面白かった。
f8のキーノートでの、「フェークニュースと戦う」に対応するのかな? "Google News Initiative" というのが始まるみたい。メディアの人たちがどう受け止めたのか興味がある。
ただ、これはいただけないと思った。"Everyone has access to the same information" 「誰もが同じ情報にアクセスする」 

技術の人が、「ニュース」の「理想形」を追求するとこうなるのかしら? FacebookとGoogleが、その気になれば、ネット上では技術的には可能なことなのかも。
世界も人間も人生も、そして世界観も多様なはず。皆がスマホとAIに助けられて、消費者としてだけ存在している世界は、世界の表面に過ぎない。確かに、そこには、戦争も葛藤も苦悩もないかもしれないが、それは、我々が向き合っている「現実」とは、違うものだと思う。
昔、世界一発行部数の多い新聞は、「真実(プラウダ)」という名前だった。
「誰もが同じ情報にアクセスする」僕はそんな世界は好きじゃない。

【追加コメント1
確かに、「誰もが同じ情報にアクセスする」ことが、望ましいケースもあります。例えば、科学的な知識については、「誰もが同じ情報にアクセスする」ことをネット上で保証するのは、いいことだし必要なことです。arXiv.orgの成立と成功は、すくなくとも数学や物理の世界では、その情報共有のスタイルを大きく変えました。
また、著作権が切れた書籍をネットワーク上で利用可能にする、かつてGoogleが行なったGoogle Book のような試みを、僕は、積極的に支持します。ネット上に、古代のアレキサンドリアの図書館のようなものができればいいと思っています。ただ、日本では、Google Bookはとても評判が悪かったですね。ハーバードもMITも積極的に協力したのに。
Googleが頑張らなきゃいけないのは、そうした取り組みだと思います。Googleが、ニュースのイニシアティブを取る必要はないのです。
ニュースや週刊誌やツイートやYoutuberの投稿を、残す必要があるかについていえば、僕は、そこは、多様であっていいし、時間の流れに任せて消えていくのでもいいのではと思います。
"Google Books" https://en.wikipedia.org/wiki/Google_Books

【追加コメント2
情報の提供者が、その情報の「正しさ」について責任を負うのは当然のことですが、ただ、その「正しさ」は、提供者のみによって担保されるわけではありません。
情報の「正しさ」は、その受け取り手によって、最終的には判断されます。
Facebookは、「Fake Newsと戦う」と言っていますが、その最良の方法は、AIを使って、正しいものとそうでないものを区別することではなく(まあ、できることがあるならやればいいのですが)、また、Googleのように「正しい」「一つの」「同じ」情報をネットワーク・メディアが流すことでもなく、情報の受け取り手が、「正しい」判断を行うことのできる主体となることです。

ただ、検索の変化とボイス・アシスタント・システムの登場が、問題を複雑なものにする可能性があることについては、注意が必要です。長くなるので、それについては、別の機会に。

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