科学と寛容さについて
最近考えていることを書き出してみたら、変なことに気づいた。
1) 現実には、目には見えないものが存在していて、その力が世界を動かしている。
2) 時間の流れは、場所によって、だから、人によって違う。
3) 我々には、知り得ないものがある。
2) 時間の流れは、場所によって、だから、人によって違う。
3) 我々には、知り得ないものがある。
なんか、アヤシイ人になっている。
!) は量子論、2) は相対論、3) は計算可能性の議論の、そんなにデフォルメしたわけでもない言い換えなのだが。
科学のコンテキストを離れて、科学の結論を一般化すると、なんかアヤシイものになるということなのだろう。たぶん。
ただ、本当に、それだけなのかとも思う。
「星の王子様」はいう。
「ほんとうにだいじなものは、目には見えない」と。
「ほんとうにだいじなものは、目には見えない」と。
プルーストは、マドレーヌがタイムマシンの機能を持つと主張している(ようなもの)。
それに、ヴィトゲンシュタインがなんと言おうと、「語り得ぬもの」について語り合うのは楽しい。
依拠するのが、科学でも芸術でも宗教でもアニメの世界観でも、世界は「謎」がいっぱいあるのだから、いろいろ深く考えるのは、何も考えないより、いいことのような気もする。違う立場への「寛容さ」さえあれば。
まあ、僕は、言葉の力、理性の力、科学の力を信じているのだけれど。
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