生成文法とカテゴリー文法の接近
言語学にはいろんな「流派」がある。生成文法、認知言語学、従属文法、カテゴリー文法、 ミニマリスト... 。そして、それらの「流派」の間で、結構、激しい論争がある。最初にあげた生成文法と最後にあげたミニマリスト・プログラムは、どちらも同じChomskyの理論だが、違うものになっていると思っていい。だから、Chomskyとかつての彼の「弟子」たちとも、論争が起きる。
もっとも、「文化系」の「学問」だから、そんなことが起きると思ってはいけないと思う。物理学だって、スーパー・ストリングの連中と、量子ループ重力の連中は、ソリが合わない。この前紹介したペンローズのように、現在「主流」の物理学は、「ファッション」で「信仰」で「ファンタジー」だと、こき下ろす御大もいるのだから。
つい最近カテゴリー文法の本を読んでいたら、こんなことが書いてあった。しかも冒頭に。知らなかった。ChomskyとLambek、仲が悪いと思っていた。Lambekは、カテゴリー文法を作った人だ。
「1950年代、J.LambekとN.Chomskyは、お互い知り合っていて、お互いの仕事も知っていた。また、二人とも、数学と言語学の両方を知っていた。Lambekは数学に、Chomskyは言語学の道に進んだ。 Lambekの論文は、数十年間行方不明になっていて、"Lambeck Calculus"という用語は、論文が再発見された1980年代に、J. van Benthem によって名付けられたものだ。」
このMorrillの本 "Categorial Grammar"は、2011年に出版されたカテゴリー文法の本なのだが、いろんなところに、Chomskyの引用がある。しかも、肯定的な。
僕が、カテゴリー文法が、ChomskyのMinimalistに近づいていると気がついたのは、二年ほど前に、次の論文を見つけた時だ。 "On the Convergence Of 'Minimalist' Syntax and Categorial Grammar" http://bit.ly/1vonO0U
以前にも紹介したことがあるのだが、この論文、ちょっと変わった構成をしていて面白い。
舞台は、アムステルダムの'Cartesian Well'というビアホール。ビールを飲んでいた作者の耳元で、「俺は、チョムスキーの最近の理論は、カテゴリー文法にちかづいているのを発見したんだ」とささやく酔っ払いがいて、そいつの話を聞くというところから始まる。論文は、酔っぱらいの言葉に納得した作者の、「おそらく、俺たちは、一緒にビールが飲めるんだ」という言葉で終わる。
"Cartesian Well"というのは、「デカルト酒場」ぐらいの意味だと思う。それは、Chomskyが自分の言語学を、かつては「デカルト派言語学 (Cartesian Linguistic)」と自称していたからだ。彼はいま、そうした言い方をやめている。Bio Linguisticだという。
この論文が、いつのものなのか、ちょっと調べきれなかったのだが、おそらく、2011年のMorrilの本の前には、出ていたのだと思う。多分、「チョムスキーの最近の理論」と言っているので、1990年代だと思う。Minimalistが出てすぐぐらいのものだと思う。そういう意味では、ふざけたスタイルだが、Categorial Grammarの連中が、Minimalistの新しさを発見したのは、画期的だと思う。
この論文は、EpsteinとBerwickのものだが、「一緒にビールを飲む」どころか、Berwickは、今ではChomskyと一緒に仕事をしている! 今年一月に出た "Why Only Us?"は、BerwickとChomskyの共著である。
言語学、不毛な論争に明け暮れているだけではないのだ。僕は、この二つの「流派」の「収束」に注目している。このあたりから、「自然言語理解」の突破口が開けるのではと期待している。
問題は、僕は、Categorial Grammarの論文は、まあまあ読めるのだが、Minimalistの言語学の論文が、さっぱりスラスラ読めないのだ。今の僕には、まだ難しい。もうちょっと勉強しないと。
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