ヘレン・ケラー、ベートベンを聴く

アマゾンの特売で2,980円で買ったbluetoothのヘッドフォンが、なかなかいい。僕は深夜族なので、アパートでガンガン、ロックをかけるのは、気がひける。かと言って、クラシックなら許してもらえるわけでもない。
でも、イヤフォンはヒモがうっとおしい。
ヘッドフォン、難を言えば、イヤフォンより重い(当たり前だ)、頭が締め付けられる(孫悟空だってそうだ)、寝ながら聞きにくい(まっすぐ上を見て寝ればいい)。
音質だが、僕には、十分だ。なんせ、ソノシート(知らないだろう)で初めてTake Fiveを聴いて感激し、FENのラジオでプレスリーを聴いて熱中してきた。音質などいいわけがない。音楽は、想像力で補える。
昔、タンノイのArdenを持っていた。いいスピーカーだ。でも、引越しの時、コーンが破損して、稚内に着いた時には粗大ゴミになっていた。このヘッドフォンなら、そうした悲劇は起こらない。
何より、値段の割に、すごい「ハイテク」だと、つくづく思う。僕は、昔の音楽家に、僕がどうやって彼らの音楽を聴いているのか説明する自信がない。
そうか。聴かせてみればいいのか。
もっとも晩年のベートーベンは、耳が聴こえなかったらしい。
耳が聴こえなかった彼が作曲した「第九」を、同じく耳が聴こえないヘレン・ケラーが「聴いて」、感激して、演奏したニューヨーク交響楽団に手紙を書いたというエピソードがある。 https://goo.gl/xBRrfL
彼女は、スピーカに手を当てて、第九を聴いたらしい。以下、彼女のその手紙の一部。
Dear Friends:
I have the joy of being able to tell you that, though deaf and blind, I spent a glorious hour last night listening over the radio to Beethoven’s “Ninth Symphony.” I do not mean to say that I “heard” the music in the sense that other people heard it; and I do not know whether I can make you understand how it was possible for me to derive pleasure from the symphony. It was a great surprise to myself.


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