2017年1月9日月曜日

Borges "Ficciones" 動詞だけの言語

講演スライドの冒頭に、epigramを置くことがある。この作業、表紙の画像を考えたりするのと並んで、僕の講演準備のひそかな楽しみの一つである。
epigramを説明するというのも、野暮な話なのだが、今回のマルレク「パーソナル・アシスタント・システムと人工知能」のそれについては、ちょっと説明があったほうがいいと感じている。(マルレクに直接参加した人には、会場で話したのだが)
今回のは、これ。
"There are no nouns in the hypothetical Ursprache of Tlön, which is the source of the living language and the dialects; there are impersonal verbs qualified by monosyllabic suffixes or prefixes which have the force of adverbs."
 
「トレーンの仮説的に想定される原言語には、生きた言語や会話の源泉である名詞が存在しない。動詞があるだけである。それらは、副詞の作用をする単音節の接頭辞あるいは接尾辞で修飾された、非人称の動詞である。」
実は、この記述は「事実」でないのだ。
「トレーン」なんて国は存在しない。だから、その地域の「原言語」などあるわけはないし、もちろん、その言語には名詞がなくて動詞だけだというのも、全部、ボルヘスの創作である。
ただ、今回の講演を準備しながら、僕は、名詞中心の言語観・分類観は、窮屈で狭いなと感じていた。たまたまボルヘスの"Ficciones"を読んでいたのだが、そこに先のフレーズを見つけて、僕は驚嘆した。この作家の直感と想像力は、素晴らしい。
もっとも、引用元がボルヘスではなく、星新一か筒井康隆か井上ひさしだったら、みな、この引用なんかあるな、本当かよと感じてくれたかもしれない。
逆に言えば、言語理解における「名詞」と「動詞」の役割について、「警句」の形ではなく、もう少し詳しく説明する必要があるのだと思う。それについては、おいおい展開できたらと思う。
(ただ、それは、IT技術者の実践的な関心からは、どんどん離れていくかもな。次回のマルレクは「ネットワークとハードウェア技術の現在」をテーマに、もう一度、「現実」に戻ります。)

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